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色々の記録。noteから移行

映画感想『ドライブ・マイ・カー』

前回の日曜日に映画を観に行ってきました。

映画は好きだけれど、普段はあまり映画館に行きません。2020年にコロナが流行り始めてからは特に。在宅生活を送っているせいか、時間が決まっている予定に対して逆算して準備をすることが苦手になってしまった。

それでも、『ドライブ・マイ・カー』はかなり評判もいいし、かなり前から公開しているからいつ上映終了になってしまうかわからないし、興味があるなら早いうちに、と思って観に行きました。

 

以下感想を思いつくままに書いていくので、ネタバレ注意です。尺が3時間もあるからスケジュール確保は大変だけど、是非観に行ってほしい。

 

村上春樹の短編小説集「女のいない男たち」に収録された短編「ドライブ・マイ・カー」を、「偶然と想像」でベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞した濱口竜介監督・脚本により映画化。舞台俳優で演出家の家福悠介は、脚本家の妻・音と幸せに暮らしていた。しかし、妻はある秘密を残したまま他界してしまう。2年後、喪失感を抱えながら生きていた彼は、演劇祭で演出を担当することになり、愛車のサーブで広島へ向かう。そこで出会った寡黙な専属ドライバーのみさきと過ごす中で、家福はそれまで目を背けていたあることに気づかされていく。

eiga.com

結論から言うと、観に行ってよかったです。そんなに本数を観る方ではないけれど、ここ数年で観た邦画の中で一番よかった。キャストも、サウンドトラックも、映像の感じもとても素敵でした。話の中で舞台が東京・広島・北海道とかなり変わるのだけれど、土地の空気感を写し取ったような映像が素晴らしかったです。特に、広島の瀬戸内海沿いのうねうねとした道路の撮り方が好みでした。主人公・家福が広島での滞在先と仕事場を行き来する片道1時間の道のり。その道を赤いSAABが通るたびに、話が転がっていく。

 

原作は村上春樹の同名の短編小説『ドライブ・マイ・カー』なのだけれど、その小説が収録されている短編集『女のいない男たち』収録の他の短編『シェエラザード』『木野』の要素が映画には取り込まれています。

特に『木野』には、映画の中でもキーとなる一節が綴られています。

「傷ついたんでしょう、少しくらいは?」と妻は彼に尋ねた。

「僕もやはり人間だから、傷つくことは傷つく」と木野は答えた。

でもそれは本当ではない。少なくとも半分は嘘だ。

おれは傷つくべきときに十分に傷つかなかったんだ、と木野は認めた。

honto.jp

(『女のいない男たち』p.223より)

 

劇中でも「傷つくべき時に十分に傷つくこと」ができなかった、という悔悟の台詞が登場します。その台詞があまりに痛切で、痛みに満ちており、思わず両目から涙がボロボロと零れてしまった。演技とは分かっているけれど、こんなに悲しい告白はあるか、と。半ば呆然としながら帰宅して、『女のいない男たち』を手繰り、『木野』を読み直しました。

 

傷つくべき時に傷つくことはとても難しい。自分の抱える痛切な感情を真正面から受け止めることは、とても苦しみに満ちた作業です。第一、傷ついている自分を認めること自体、恥ずかしいし、辛くて仕方がない。

それでも、「傷つくべきときに傷つくことができなかった」記憶は棘のように心に刺さり続け、呪いのように人生を縛りつづける。映画の中盤、画面に留まり続けるどこか不穏な空気は、そんな「傷つけなかった」男、家福へかけられた呪いのように映ります。

 

でもね、そんなに皆自分の感情を上手くその場でつかまえられるわけじゃないよ、とも思います。大した年数は生きていないけれど、あの時ちゃんと怒っておけばよかった、泣いておけばよかった、地団駄ふんでもよかった、そんな経験ばかりです。「こうしておけばよかった」「こうであってほしかった」そんな後悔の蓄積で自分という人間が形づくられているような気すらする。

 

とても好きな小説、舞城王太郎の『好き好き大好き超愛してる。』という小説があります。この小説の冒頭に記されている文章、「愛は祈りだ。」から始まる3Pと少しの文章の中に、過ぎ去った過去のことについて「こうであってほしかった」と思う心への一さじの救いがあるような気がして、たまに読み返してしまいます。

祈りは言葉でできている。言葉というものは全てをつくる。言葉はまさしく神で、軌跡を起こす。過去に起こり、全て終わったことについて、僕達が祈り、願い、希望を持つことも、言葉を用いるゆえに可能になる。過去について祈るとき、言葉は物語になる。

人はいろいろな理由で物語を書く。いろいろなことがあって、いろいろなことを祈る。そして時に小説という形で祈る。この祈りこそが奇跡を起こし、過去について希望を煌めかせる。ひょっとしたら、その願いを実現させることだってできる。物語や小説の中でなら。

bookclub.kodansha.co.jp

(『好き好き大好き超愛してる。』p.3-4より)

 

この文章の中では小説について言及していますが、映画であったり、音楽であったり、創作物は須らくそういった「祈り」の具体化で、私たちは創作物を通して、過去の自分を救うことも可能なのかもしれません。

 

一言でまとめると、「いやぁ、映画って本当にいいもんですね」ってところに尽きるんですけどね。いやぁ、本当にいいもんですね。

 

また映画館に定期的に行きたくなってしまいました。ちゃんとスケジュールを立てて訪れようと思います。