marugaolog

色々の記録。noteから移行

2023年3月27日〜31日

はじめに

毎週末更新スタイルで年始からつけていたブログ、しばらく間が空いてしまっていた。

更新できなかった事情は以下にちょこっと書いた。

marugaolog.hatenablog.jp

で、まあ仕事(を含めた労務環境)の状況は、一歩進んで二歩下がり、そしたら変なところから矢が飛んできたり……みたいな、未だに安定したとは言い難い状況なのだけれど、まあそれに引っ張られすぎるのもよくないよね〜〜と思ったので、あんまり仕事のことは考えずに。あくまで生活面にフォーカスして日記を書こうという感じに自己完結した。

(といっても、最近起きている時間の大半は仕事でPCに向かっているので、平日は特に”生活”が存在しないのだが……)

 

なんかトピックを分けるのが面倒なので今回はこのままつらつらと

仕事がやべえのでとりあえず目の前のタスクに手をつけないといけないけど、アドレナリン出なくてちっとも手が動かない、みたいな時はずっとZORNのWalk this wayを聴いていた。

youtu.be

ZORNは塗装工やりながらラップやって、子育てもやって、そういう日々の暮らしがリリックにも表れていて(”ポッケには夢とどうぶつビスケット”)、地に足ついた感じがいいな〜と思う。結局何やるにも今目の前にあることを頑張るしかない。でっかいホームラン飛ばすにも、そもそも打席に立たないといけない。

youtu.be

さいたまスーパーアリーナのLive DVDも観た。最高だった。

もうちょっとだけZORNのこと書いていいですか?いいよ。

youtu.be

家庭の事情っていう曲があって、まあ波乱万丈としか言いようがない本人の家庭環境や半生についてが語られている。

この曲を聴くたび「僕が小さい頃失踪したきり会ってないから、お母さんの顔知らないんだ」つってた小学校の同級生のK君の顔を思い出す。K君元気かな。元気だといいな。

”親は選べない子供”と歌われている通り、この世には、どうしようもない、本人の責ではない格差が広がっている。所謂「親ガチャ」ってやつだ。個人的にはこの言葉がダサくてあんまり好きじゃないのだが、こういう言葉が一般に膾炙するくらいには、生まれながらの格差があることは、隠しようのない事実になっている。

……身も蓋もないことを言ってしまえば、所詮運でしかない。親の身長次第で子の身長がある程度決まるように、どうあがいても変えられない差というものが人には生まれながらに課されている。

hattatu-matome.ldblog.jp

本当の意味での「持てる者と持たざる者」の差を実感したのは最近のこれ。

結局のところ、大谷翔平と特殊詐欺の受け子の差は、成功体験の差にある。何かを好きでやりたいと思って、アクションを起こした結果上手くいった、周りもそれを認めてくれた、みたいな経験を上手く重ねてこれたかどうかが、20年かそこらで絶望的なまでの差になってしまう。

WBCでのMVPだったり85億だったりは結果に過ぎない。一番大きいのは、大谷翔平は野球の分野で大小様々な成功体験を積み上げることができたってことだと思う。煌びやかな大記録の影には、確実に、野球に打ちこむことを許容した親や、彼の資質を認め伸ばした周囲の大人といった存在がある。陳腐な言葉にも聞こえるけれど、やはり彼は周囲の大人に恵まれたのだと思う。(もちろん、資質を認めざるを得ないほど大谷翔平本人が野球の才能に溢れていたのもあると思うけど)

はたしてもう一方の「持たざる」方。「お金持になる」、「全てうまくいく」、「めんどくさい事も全てなくなる」……漠然とした目標しか書けてねえじゃんこれじゃ上手くいくわけないよ、って一笑に付すことだってできると思うけど。でもなあ。

突然の自分語りをすると、私は15年くらい前に中学受験をしている。当時小学生なりに必死こいて勉強をして、結果めでたくなかなか良い学校に合格をし、進学することができた。ちゃんと頑張った経験が上手く結果に結びついたという意味ではかなり大きな出来事だったので、当時は相当嬉しかったことを記憶している。

ただ、入学半年くらいした頃、父親が本当の意味で発狂してしまって(本当の意味での発狂というのは、精神病の症状が手をつけられないくらい悪化してしまい、本人も何が何だかわからなくなって破局的な言動等に及ぶ、という意味での「本当」です)。ある日突然学校の教務に怒鳴り込んできて、「うちの娘を辞めさせます」つって職員を相手に大騒ぎをした。お金も使い込んでいたので、学費を払うだけの預金もなかったと把握している。退学話は単なる父親による脅しではなく、割と現実味のある話だった。

結局紆余曲折あってその学校にはちゃんと卒業まで通い続けることができたのだが、あの時本当に辞めさせられてたらどうなっていたんだろう、と今でもたまに思う。私もきっと漠然とした夢しか語れなくなっていたはずだ。受け子の彼のメモに書いてある「であう人全て良い人」の意味を考えて胸がギュッとする。悪い人としか思えないような人がこの世にはたくさんいる。

どんなに努力をしたところで、それを踏み躙ろうとする大人が周りにいる限り、具体的な目標を掲げて、目標達成に向けてやることを計算していくことって滅茶苦茶難しくなってしまう。だって明日のことだって予測がつかないのだ。そんな状況下でどうしろと?それとも、結局運だから仕方ない?

 

 

みたいなことを昨日ZORNのLive DVDを見ながらウンウン考えていた(勿論「家庭の事情」もセットリストに入っていた)。

というわけで、あしなが育英会にささやかながら寄付をした。とりあえず寄付!となりがちなのは我ながらあんまり褒められた性質じゃないなあ、と自己嫌悪したりもするのだけれど、「やらない善よりやる偽善」、と思って、何かの足しになれば良いなということで。

ashinaga.org

 

 

 

ちっとも日記じゃないな。なんかまあこういう回があっても良いのではということで。